最高裁判所第一小法廷 昭和48年(オ)411号 判決 1975年9月11日
上告人
合資会社東洋キネマ
右代表者
小林兵庫
右訴訟代理人
平井博也
外二名
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人平井博也、同柴田徹男、同酒井憲郎の上告理由一及び二について。
借地法七条にいう建物の滅失とは、所論のように、必ずしも、建物を一時に全部取り毀し、あるいは、解体して借地の大部分が更地となつた状態が現出したときに限るものと解すべきではなく、建物の取毀しと並行してこれとは別個の建物の新築工事を進め、新築建物完成時には旧建物が全部取り毀されたような場合をも含むものと解するのが相当である。本件において原審が確定したところによれば、被上告人が本件建物を新築するにあたつて、昭和三〇年七、八月ころ、従前の建物であるバラック約一二坪のうち、家財の置場所等のため、さしあたつて工事に支障のない部分約二坪を残し、その余の部分を取り毀して新築工事にとりかかり、その後、バラックの残存部分は新築工事の進行程度によつて順次取り毀し、遅くとも同年九月一五日ころまでには既存バラックの全部を取り毀し、その跡に本件建物を新築したというのであるから、右事実関係のもとで、原審が、既存建物である右バラックの取毀しは同条にいう建物の滅失にあたるとした認定判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、右と異なる見解に立つて原判決を非難するにすぎないから、採用することができない。
同一及び三について。
原審が適法に確定した事実関係によれば、上告人が借地法七条の適用に関し、遅滞なく異議を述べなかつた旨の原審の認定判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、独自の見解に立つて原判決を攻撃するにすぎないから、採用できない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(団藤重光 藤林益三 下田武三 岸盛一 岸上康夫)
上告代理人平井博也、同柴田徹男、同酒井憲郎の上告理由
一、原判決は、借地法第七条にいう「建物の滅失」並に「遅滞なき異議」の解釈につき判決に影響を及ぼすべきこと明かなる重大な誤りをおかし、当然これを破棄さるべきものである。
二、「建物の滅失」に関する解釈について
(イ) 建物の「滅失」とはなにかにつき、借地人が任意に取毀して新築した場合について従来、下級審判決、学説共分れていたが、最判昭和三八年五月二一日民集一七巻(五四五頁)の判例により借地人の任意取毀、新築にも七条の適用があるとしている。
右判例は、残存期間を越えて存続する建物の新築を知る地主に異議を述べさせ、知既し又は知るべき状態にあるのに異議を述べない地主に不利益を与える趣旨からはまさに正論である。
ところが、本件がそうであるように微妙なところとはいえ地主は、旧建物の滅失――新建物の築造という事実を短時日のうちに知り得ない場合が多く、とくに取毀しや大改修の場合はそうであり、さらに滅失ないし取毀しの上の建築を地主が知り得たとしても、新建物の耐用年数が残存借地期間を越えるかどうかを知ることは容易ではない。
(ロ) 一方、右七条の異議は地主にとつて単に借地期間が延長されてしまうということにとどまらない。右延長された借地期間満了後に地主は、新築された建物なるが故に借地人の建物買取請求権の行使により思わぬ高額の買取額を強いられることは勿論、次の事実は更に注目すべきことである。少くとも都市部において、借地期間満了に伴つて地主との協議により借地人が地主に支払う所謂「更新料」制度が、ほぼ事実たる慣習として成立しているということである。故に借地期間を従来の期間にとどめる為の右異議権は地主にとつて極めて重要な権利と言わざるを得ない。因みに、少くとも都市部においては「更新料」は、更地価額の七割乃至九割に相当する借地権価額の五分乃至一割がほぼ慣習化されているのである。
然りとすれば、従前の建物に対する関係で借地人の所為が改築か「新築」かの判断基準が明確化されなければならない。右判断基準の定立は誠に困難かもしれない。さればといつて、疑しき場合は全て地主において、第七条の異議権を行使しておけばよいではないかという議論は、徒らに法律関係を混乱させるのみであり、法的安定性を求める法律解釈としては極めて好ましくないというべきである。
(ハ) さすれば借地法第七条の「建物の滅失」なる解釈を「建物の同一性」に求めるという原審判決は極めて不明確な概念――結局は裁判所において旧建物と新建物が、同一性があるか否かという判断をまつてはじめて明確化するという意味で――誠に不適当な判断基準というべきである。
よつて上告人は、むしろ「建物を一時に全部取毀し乃至解体し借地の大部分が更地となつた状態が現出したとき」と解すべきことを主張するものである。
右判断をとつたとき、本件建物が仮りに、被上告人の主張のとおり本件建物が新築であるとしても、一審における証人黒岩正敏、同依田光夫の証言により明白なとおり、旧建物は工期三ケ月を要し、工事の進行に応じて新築工事に支障のない部分を残し乍ら新築を進めた事実が認められるのであつて、「旧建物を一時に取毀し借地の大部分を更地とした状態」が現出されなかつたのであるから、借地法第七条は適用されないと断ずべきである。従つて借地期間たる昭和四二年一一月一日をもつて被上告人との借地契約は期間が満了したものと断ずべきである。
三、「遅滞なき異議」に関する解釈について
遅滞なき異議は、地主が旧建物滅失を知るか若しくは当然知り得べき状態にあるのに異議を述べなかつた状態が前提とされる。即ち、借地人が建物取毀し及び新築の事実を秘匿していたために地主がこれを知らなかつたときは、地主の異議は遅滞したことにはならない。
ところで、本件借地契約書(甲第二号証)第一条第五号によれば「賃貸人の書面による承諾あるにあらざれば、賃借物の原状を変更せざること」との約定がなされ、右趣旨は上告人代表者本人尋問並に被上告人本人尋問(一審)の結果からすると、右「賃借物」には借地上の建物の増改築並びに新築も含まれるものであり、被上告人が右趣旨の承諾を求めなかつたことは、原審が認定するとおりである。
又、被上告人の場合がそうであるように借地人は其の新築にあたり、右新築に際し所轄官庁に対する届出については、借地人は新たに賦課される新建物の固定資産税並びに新築に伴う建築基準法並に其の関係法規にある新築制限(例えば本件の如く、新築とすれば公道より一米下げねばならないという規制)を免れる為、増改築の形式により実質的には新築してしまう例は極めて多い。現下、建築技術並に資材の急速な発達により、工事の態様も、旧建物を一部取毀しつつ新築をすすめ、借地人が現に旧建物に居住しつつ全く新築を完了してしまう例が極めて多い。本件被上告人の場合がまさに右の適例であることは、原審記録の各証拠により充分認められるところである。地主に対し、借地人において新築をしたかどうか、旧建物が滅失したかどうかを絶えず確かめさせておく義務を課することは容易なことではない。
さすれば、本件の如く、地主の承諾を求めず所轄官庁に対する届出も真実に反する改築の形式をとり、工期も極めて短期日になし、新築の事実を秘匿していた借地人に対しては、地主の異議は何ら遅滞したことにはならないと断ずべきである。